「わかりやすさ」と「さりげなさ」—21年アメリカで広告を書いてきた私がたどり着いた境地

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 私は38歳まで日本で働き、渡米して今年で21年になります。いま59歳。人生のちょうど半分ずつを日米で過ごしてきました。

 コピーライターとして、日本では大手広告代理店で国内外クライアントの仕事を手がけ、アメリカに移ってからは、グローバル企業向けに英語で広告やブランドムービーを作っています。

 そんな私がいま強く感じているのは、「わかりやすさ」と「さりげなさ」という、日米における“感性の方向性の違い”です。

アメリカは「わかりやすさ」が命

アメリカの漫画の写真

 アメリカという国は、あらゆる人種・民族・宗教・出自の人々が共存する、多様性の塊のような場所です。同じ英語でも、言葉の受け取り方は人によってまったく違う。だからこそ、広告や広報において最も大切なのは、「誰にでも伝わるわかりやすさ」です。

 ハリウッド映画を例に挙げるとわかりやすいでしょう。ストーリーの軸は徹底的にシンプルに。そのうえで、美術、キャスト、SFXなどのディテールを丁寧に重ねて、作品に厚みや多層性を出していく。

 結果としてそれが“誰でも楽しめるエンタメ”になり、グローバルでもヒットするのです。

 アメリカでは、曖昧さや含みは「逃げ」や「不誠実」と捉えられることもあります。自己主張しなければ、存在していないのと同じ。広告の世界でも、価値を明快に提示できないブランドは、選ばれません。

日本は「さりげなさ」を美徳とする

風鈴の画像

 一方、日本の文化には「沈黙は金」「言わぬが花」といった価値観が根付いています。自分の価値を声高にアピールするのは“野暮”であり、洗練とは真逆の行為とされることもあります。

 俳句や和歌に象徴されるように、「余白」や「行間」に意味を込め、受け手の想像力を引き出すことが、日本的な美意識のひとつです。夏の風鈴の音が、涼しさや夕暮れの情緒を想起させるように、日本の広告表現には「喩え」や「間」が多用されます。

 そして、それが日本人の控えめさや謙虚さにもつながっている。これは中国や韓国にもあまり見られない、日本独特の文化です。

だから日本企業のグローバル発信は難しい

 しかし、この「さりげなさ」をそのままグローバル市場に持ち込むと、往々にしてうまくいきません。

 伝えるべき価値が伝わらない。主張しないことで、存在感が薄れてしまう。
 アメリカや欧州では「No message is no presence.(伝えなければ、存在していない)」という認識が当たり前にあります。

 私は21年間、アメリカで広告を書き続けてきましたが、結論としては「中道」がベストだと考えています。

 つまり、“伝えるべきことは、はっきりと伝える”。でも、“押しつけず、品位を保って伝える”。

 主張と美徳のバランスを取ることで、日米どちらの感性にも届くコミュニケーションが可能になるのです。

「異文化に溶け込む」よりも、「橋を架ける」視点を

橋と夕日 日本人がどれだけ長くアメリカに住んでも、アメリカ人にはなれません。私も21年住んで、まだなれていませんし、おそらく一生なれないでしょう。

 だからこそ、「相手の文化に溶け込む」のではなく、「自分の文化を理解したうえで、相手との橋を架ける」。その視点が、これからの国際的な広告・広報・マーケティングにおいて、ますます重要になってくると私は感じています。

最後に:日本の強みを“伝わる形”で

夕日の中で両手を広げる写真

 もしあなたが、アメリカ市場で商品やサービスを売りたいと考えているなら。あるいは、グローバル市場に向けて日本ブランドを伝えたいと考えているなら。

 まずは、「自分たちが当たり前に持っている美徳(さりげなさ)」が、海外ではそのままでは通じない可能性があることを認識してください。そのうえで、日米の“感情の重なり合うポイント”を、丁寧に見極めていくことが大切です。

 わかりやすく、でも品よく。主張するけれど、うるさくない。

 私は、その中庸の美しさを探りながら、これからも「日米ハイブリッドの表現」を追求していきたいと思います。

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